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    〒661-0026 兵庫県尼崎市水堂町1-25-7

    ご祈祷受付時間 9時から16時

    各種ご祈願を執り行います。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

  • ご祭神

    水堂須佐男神社の御祭神は、スサノオノミコト(須佐之男命)です。
    須佐之男命は、『古事記』では「須佐之男命」、『日本書紀』では「素戔嗚尊」と表記されており、神話では天照大神の弟神として語られています。

     

    荒々しく強い力の持ち主でありながら清々しく全てを清めてくださる神として厄除けの神様。

    社会の繁栄と安住の天地を作る事を教えとする、夫婦円満の神様。 

    稲田姫命と様々なことを乗り越えてめでたくご結婚され、夫婦神様となり末長く仲良く暮らしていったことから、縁結びの神様(結びの神)として信仰を集めております。

     

    『古事記』に「伊邪那岐大神、御鼻を洗い給いし時に生りませる神」とあり、天照大神の弟神で、〝八岐の大蛇〟退治でよく知られた神性勇躍、またロマンに富んだ神様です。
    櫛稲田姫を娶り、山陰出雲の地に宮居を営まれたとき、「八雲起つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と歌を詠まれています。

     

    創祀

    樹齢数百年の古木を容する鎮守の森に囲まれた当社の創建は、安土桃山時代の天正三年(1575年)と伝えられます。それは、信長・秀吉、また謙信・信玄ら戦国の武将が活躍した近世初頭にあたります。

    しかしそれ以前に、当社境内地は五世紀ごろの築造になる古墳であります。その墳丘の地に、いつのころからか素朴な祭祀場が設けられ、当地住民の産土神(氏神様)として守られてきたのではないかとも推察されます。

     

    拝殿天井画「万葉の花」

    水堂古墳の被葬者と、阪神大震災の犠牲者の霊に捧げる意を込めて、滋賀大津在住の日本画家 鈴木靖将が描いた当社拝殿の天井画「万葉の花」(平成十年作)は、東西8m 南北4mの格天井の杉板全面に165枚。銅鏡・刀剣など古墳副葬品をイメージした大作を中心に配し、その周囲に四季にわけて『万葉集』の歌に詠まれた野の草花、つばき・かきつばた・ききょう・おみなえし等々をデザイン化して描き、他に類を見ない意匠と色彩の傑作です。当社震災復興の美しくも貴重なシンボルでもあります。

    水堂古墳

     当社の境内地(約1300平方メートル・約四百余坪)のほぼ全体が、間口50メートル、奥行き60メートルの前方後円墳で、水堂古墳と呼ばれ、尼崎市指定文化財になっています。

     

     「水堂」というのは地名ですが、往古、このあたりは海辺に近く葦原の生い茂る湿地でありました。「みずどう」は、もと「みずど」もしくは「みど」(水処)だったのかもしれません。そして弥生後期(二、三世紀ごろ)からこの地に人々が集落を営んでいたことが分かっています。

     

     古墳は昭和三十七年(1962)に発掘調査が行われ、粘土槨におおわれた朱塗りの木棺が納められていた古墳中心部は、今も保存されています。発掘当時、粉状になった人骨をはじめ、副葬品として鉄槍、鉄斧、直刀、短剣、竹製の櫛、胡籙(矢筒)、そして珍しい銘文を刻んだ青銅の鏡(三角縁神獣鏡)、弥生式の甕や土器などが発見されました。おそらく当地域の海洋と陸地を領有した豪族の墓であったろうと思われます。(副葬品は市文化財収蔵庫に保管。古墳保存館は社務所に申し出れば見学自由)

    ≫御社殿

    流麗な流れ造りの本殿・拝殿・手水舎は、平成七年の阪神大震災により旧拝殿が倒壊したため、平成十年に復興再建されたものです。拝殿正面の社名額は深山龍洞 筆(大正六年)。

     

    古い年代の石造物としては、元禄六年(1693年)の銘記がある手水鉢、室町時代の制作と思われる狛犬、江戸時代の燈籠九基など、近年では、先々代宮司の句碑「ほととぎす 雨夜となりて 人恋し」など。